
何だかむやみに家メシが食べたくなった。家メシ、まぁお袋メシだ。男子たるもの生来のマザコンであるからして、ひとり暮らしなどしていれば、お袋メシが恋しくなって当然である。
もう五年、家メシを食っていない。さすがに我がイージマ家の味を忘れてきている実感もある。逆に言えば、それでも覚えているいくつかの料理こそイージマ家の味と認定して差し支えないということになる。
まず大根の味噌汁。母さんは白味噌ベースで作るのだが、母さんの母さんつまりバアさんは赤味噌ベースで作る。オレはバアさんの味噌汁のほうが好きだった。バアさんは横浜に住んでいて、こっちは長野だったからバアさんの料理なんてほとんど食べる機会がなかったし、実際記憶もしていない。それでもこの赤味噌ベースの大根の味噌汁の感動だけは覚えているのだからすごい。味噌の違いはもちろんだが、憶測だがおそらくダシの違いが決定的だった。死んだバアさんの大根味噌汁を食わせろ。よく母さんにゴネタものである。それでも頑として母さんは白味噌をやめなかった。オレの強情さは母親譲りらしい。
もうひとつ。春巻き。コレはバアさんの若かりし頃から続く、と母さんに聞いたことがある。女好きで亭主関白のジイさんが「春巻きを食わせろ」とバアさんに言ったが、バアさんは春巻きを食べたことがなかった。だからといって「わかりません」で通じるジイさんでないことをバアさんは百も承知だから、ショーケースの見本をもとに創造力を駆使してとうとう作ってしまった。
「ふんふん。どんなだったの!?(小学生のオレ)」
「春雨が入ってたのよ。これがそれ。」
で、その晩、初めて食べた春(雨)巻き。中華というよりは和風な味付けの春雨と野菜と豚肉の炒めものが、皮に包まれていた。まぁ、つまり具があの中華アンみたいなのではなく、春雨の炒めものなのである。
ところが怪我の功名かカサブタか知らないが、美味かった。美味いが、断じてコレは春巻きではない。それでもワガママジイさんは文句を言わなかったというから、ジイさんも春巻きなるものを食べたことがなかったのかもしれない。
オレが母さんにリクエストした一位と二位は間違いなくこれだった。
せめて、この2品。この2品だけはイージマ家の家メシとして、細々と後世に遺していきたかった。口惜しくてならない。
病院に入る前の母さんは、もはや自分の定番料理すらマトモな味付けができなくなっていた。そう、父さんから聞いた。オレはそのときひとり西宮にいたから、それを味わわずじまいだったが、味わった父さんの胸は張り裂けそうだったのではなかろうか。
今頃になって、そんなことに思い当たるとは。
核家族化は例えばこういう、家庭のひとつの歴史の存続を危うくしてしまうようだ。
