
まったくの私事でちょっと照れてしまうのだけど、この前の大安の日、脱シングルマザーをし、人生の中で一番大切と思える人と入籍しました。 ここまでの道程は本当に険しく長く1つ1つのハードルをクリアできるのかなぁと何度も考えたけど、最後のハードルを跳ばせてくれたのは、私の大事な子供たちでしたね。 家族として必然から自然になれてきてやっと、絆を確信出来た気がするんです。最近、長男の子がよく私に唄ってくれるのはミスチルの‘しるし’…。
「最初からこうなる事が決まっていたみたいに…」 。夢見る乙女は過ぎたけど、きちんと私を愛してくれる人達の愛を今この年だから感じられるのかも。
私の愛する家族とそれを支えてくれてきた優しい友人達に感謝の気持ちで一杯です。
ありがとう…!!

よそのお宅に訪問する時の手土産は、年配者なら‘とらや’同年代なら‘ゴディバ’ と何だか決めているの。もちろん、お財布状況や用途も考えてだけど、ここぞという時は迷わずこうなるわね。 先日もやはり訪問先の好みも分からない、ここぞ(大げさかな)だったのでゴディバショップへ。 目的の品を買い終ろうとした時、子供たちがいつになく可愛い声で「ヒヨコの買って〜」と叫んでる! ねぇ!ここはヒヨコはないの!あれは東京駅でしょ!と言いながら、子供たちが指差す方に目をやると、ショウケースの中にかわゆいヒヨコのチョコレートがっ!
尽かさず店員から「限定品ですよ〜」 ……。
買ってしまいましたぁ〜。子供たちの分と合わせて3つも! さて、その晩子供たちが寝静まった頃、彼らが忘れてるのをいいことに、ゴディバのチョコレートなんか子供たち達にはまだ贅沢よねと美味しいコーヒーを入れ至福の時を味わったのでした。)^o^(

「ところに煙がたってか」
火のない現代人の自然との付き合い方の変化の速さには本当に目を見張る。虫はデパートの商品になり、今やムシキングになった。
ちょっと前なら、たとえば
「オレみやまゲットしたぜ!」
と聞けば、あぁこの週末どこか山にでも行ってきたんだなと考えるのが普通だったが、今ではそれはどこかのゲームコーナーかおもちゃ屋に行ってきたことを意味するようだ。
昨年のある自然体験ボランティアでオレの班になった小学生10人のうちムシキングをやったことがあるのがほぼ全員だった。当然、虫に興味があるものと思って虫捕りに連れ出したのだが、なんと約半数の少年たちが本物のカブトを気持ち悪がった。
かく言うオレも虫はあまり得意ではない。小学校高学年のある夏まではへっちゃらだったのだが、飼っていたクワガタをウッカリ死なせてしまって以来、虫との付き合いがつらくなった。生き物の命の儚さを痛感させられたのだと思う。それ以降、弟が金魚を飼ったり、父さんが犬を飼ったりするたびに、かつて死なせたクワガタを思い出し気が滅入る。
そんなこんなでしばらく触れ合わぬうちにいつしか虫が苦手になっていた。母さんがイタズラで蝉の抜け殻を投げてきたたときにオレは激昂したらしい。
そんなオレにして、この自然体験のときはカブトを迷わず素手で掴んだ。バーチャルの虫が基準になったがために本物に戸惑いを見せる子どもたちへのえも言われぬ感慨が、一時的に我が虫嫌いを凌駕したのだ。
「なーにが気持ち悪いのー!こっちが本物のムシキングだよ?」
実際のクジラを見たことがあるか。実際のツルを見たことがあるか。
ムシキングはあくまでわかりやすいひとつの象徴である。
さて、火のないところに煙はたっていいか。

「コンタクトレンズダイエット 」
短髪の時期はメガネがよく似合う。顔のパーツにインパクトがないからである。最近は髪がけっこう伸びてきたのでコンタクトを装着することが多い。長い髪にメガネはクドくなるからである。何とも厄介な顔立ちと嘆くしかない。
ところで短髪メガネ期を経てコンタクトに切り替えると、嬉しい副作用が生じる。メガネ時に比べ、コンタクト時は見るものすべてが大きく見えるのである。言い換えればメガネ時はすべて小さく見える。あまりに度が強すぎるからである。池乃めだかとネコヒロシはコンタクトだと見えるがメガネだと見えない。
コンタクト時、大きく見えて嬉しいものは食べ物である。並盛が大盛に見える。嘘みたいな話だが、メガネ時より早くに満腹感がやってくるので食べる量が減る。食事という儀式における視覚情報の重要さがよくわかる。
目は口ほどに物を喰うとはよく言ったものである(言いません)。
とりあえず髪を切るまでは食費が浮くことになった。

お彼岸の時に行かれなかったので、思い立ってお墓参り…。東京タワーを見上げる我が家のご先祖様達は変わってゆく東京をどうみてるのかなぁ…。最近では歴史の教科書もちょっとあやしくなってきて、本当の歴史とは?何てちょっと考えちゃうのは私だけかなぁ。自分のルーツを知る事にあまり意味を持つとは私は考えないけど、人間の歴史、特に日本史から学ぶ事は多いと思う。あまり美化せず今の子供たちの正しい道しるべとなる工夫を教科として強めて欲しいかな? ただ年表を覚えさせられた歴史からでは、何の価値も持たなかったけど人物をクローズアップした時、人間としての共感や違和感、私ならこうしたかなぁ…等考えて楽しく、自分の人生の糧になっていると思うなぁ。幼い頃からずうっと来ていた増上寺を大人になってから、身近に感じられ、先祖に感謝する気持ちになれたのも、増上寺の歴史をより深く知ってからかも…。

スポーツ大好き家族のうちでは常に美味しいヘルシー&スタミナ料理を心掛けはいるんだけど、だいたいマンネリになってきていたのよね〜。
小学生にもなると誤魔化しやおだてにのって食べてくれるどころか、「またそれ〜」 だとか、んもうっ!と歯ぎしりしたくなる様なプチ亭主関白な発言が多くて…。ぎっしり愛情と時間をかけた料理が喜んでもらえる訳じゃないと分かってきた今日この頃…
ただの豚バラを厚めにスライスして塩と胡椒して油を落としながらシンプルに焼き、見た目を考えてかいわれ大根をパラパラと超手間掛けない一品をどうだ〜!っと出したら、普段、関白小僧のお兄ちゃん「うん、うん、いけるよ〜!」 だって! ははっ!やっぱり料理って奥が深いわねぇ (*^□^*)

春休みなのでわが家に子供の幼なじみのお友達が遊びにきてくれたの〜。 彼女とは産まれた時からずうっと一緒に遊んだり泊まったり泊めてもらったり、まるで兄弟姉妹の様にしてきていたんだけど、この頃はお互いに習い事等で忙しくあまり遊べなかったので、うちの子も彼女もすごくハイテンションで楽しそう。 人生ゲームなどはお互いに譲り合う優しい会話もあったりして、(あぁ、お兄ちゃんお姉ちゃんになったのねぇ、)うるうるしちゃいました。そうしておやつ時、今日は3人が好きなイチゴを出してあげると…。
事態は深刻な雰囲気に! 早いもの勝ちはずるいだの始まりけんか越しの会話。黙って見ていると「じゃあちゃんと割り算して分けようよ」。 (そうそう、頭いいわね )と感心していたら、あまりに一個のイチゴでもめはじめてる! そうかぁ!そこまで譲れないのかぁ! と笑いながら私のお口の中に一粒のイチゴは消えました。そして3人の苦笑い…(^.^)b












